創造の聖域
SANCTUARY
オーケ・ホルムの工房を訪ねるのは、容易なことではありませんでした。制作を邪魔されることを嫌った彼は、作品を求めて工房を訪れる人があっても、自転車を建物の中に隠し、留守を装ったと言われています。それでも訪問者が絶えなかったため、ついには工房の扉に「Stängt för i år(今年は閉店しました)」という札を掛けていました。
オーケ・ホルム
その出発点
HÖGANÄS,SINCE 1928

1900年、陶芸の町ヘーガネスに生まれ、14歳で陶器工場に入りました。1928年に独立。以来51年間、この小さな町の工房で一人きりの制作を貫きます。
ロイヤル・コペンハーゲンが長年にわたりデザイナーとして迎えようとしましたが、彼は応じませんでした。大手製作所からの名誉ある誘いよりも、自分の手と自分の釉薬だけで作る道を選んだのです。制作に没頭し続けることができる環境を選んだホルムは、ヘーガネス郊外に家を構えてからは、毎朝同じ時間に自転車で工房へ通い、同じ時間まで制作を続けました。道沿いの人々は、自転車を走らせる彼の姿を見て時刻を知ったといいます。
紙の上のフォルム
FORMS ON PAPER
Åke Holm “Litografi 74”
¥32,000Åke Holm “Litografi 75”
¥32,000Åke Holm “Litografi 76”
¥32,000Åke Holm “Litografi 71”
¥32,000Åke Holm “Litografi 70”
¥32,000Åke Holm “Litografi 69”
¥32,000Åke Holm “Litografi 68”
¥32,000版画コレクション
全275点の軌跡

GRAPHIC ⸻ WORKS
GRAPHIC ⸻ WORKS
1966年、ホルムは愛するヘーガネス博物館の増築資金を集めるため、版画制作を始めます。博物館のメンバーだけが手にすることのできた限定版画で、本人にとっては「趣味」でしたが、15年間で275種ものモチーフが生まれる驚異的な仕事になりました。陶器と同じ聖書の世界が、紙の上ではより自由に、軽やかに描かれています。
土の奥の物語
オーケ・ホルムの作品を読み解く鍵は、モチーフと素材への独自の向き合い方にあります。
- 動物たちの寓話ホルムの動物たちは、写実的な模倣ではありません。「あえて自然を研究することはしない」と語り、例えば雄鶏を造るとき、その姿形よりも「雄鶏の傲慢さ」という概念そのものを捉えようとしました。それぞれの動物が強い個性を持ち、まるで寓話の登場人物のようです。
- 土のままの物語──テラコッタのフィギュア1930年代、独立したホルムは聖書の人物を素焼きの粘土で造り始めました。大きな頭、不釣り合いな体。古典的な美しさとは無縁の、大胆なユーモアと民衆的な魅力に溢れたフィギュア群です。「醜いものは、美しいものよりも個性的だ」と語った彼の哲学が、これらの作品の出発点でした。
- 壁に掛ける物語──レリーフと陶板レリーフや陶板は、彫刻と素描への関心を一つに結ぶ表現でした。膨大な蔵書に含まれる古代ギリシャ・ローマ建築のフリーズの図版が、インスピレーションの源です。
- 石膏の丘から生まれる大皿ろくろを好まなかったホルムは、大きな粘土の板を伸ばし、ドーム状の石膏型にかぶせて大皿を成形しました。正円ではない、わずかに楕円で不規則なフォルム。装飾は素焼きを経ず、乾いた粘土に直接、水気をたっぷり含んだ筆で描かれました。暗い下地釉の上に象牙色の白、コバルトブルーの輪郭。自由で大胆な筆致です。
ヘーガネスの巨匠
Åke Holm
1970年、ホルムの70歳を記念する展覧会がヘーガネス博物館で開かれました。12,500人以上が会場を訪れ、国王グスタフ6世アドルフもそのひとりでした。みずから蒐集家でもあった国王は、ホルムの傍らに長く留まり、釉薬の調合や焼成について語り合ったと伝えられています。国王はいくつかの作品を所望しました。ホルムは断っています。自分が傑作と認めたものは、誰が相手であっても手放さない。それは気まぐれではなく、最初から決めていたことでした。代わりに別の数点が、贈答として献上されています。優れた作品を散逸させず、まとまった姿で後世に残す。展覧会ののち、ホルムはそれらを段階的にヘーガネス博物館へ寄贈しました。いまもこの町の博物館に収められています。1979年、体力の衰えを感じたホルムは、同僚の手を借りて型の大半を壊しました。自分がいなくなった後に、誰かが同じものを作り続けることがないように。翌1980年、最後の展覧会の会期中に、ホルムは静かに世を去ります。型が失われたいま、同じものは二度と作られません。



























