Åke Holm (1900-1980)

オーケ・ホルム

1915年、陶芸家で彫刻家のÅke Holmは、父親や家族の多くが働いていたHöganäsbolagetに、Andersson & Johansson社で1年間働いた後に加わりました。ここで彼は窯の設定と釉薬掛けを担当していましたが、折からの不景気で工房は閉鎖となります。それを受けホルムは1928年、自身の工房を設立することを決めました。

初期の成功は、「Kullatrollen」(クーラトロール)と呼ばれる50種類以上のモデルで販売された土産物から生まれました。ただこれは不況だった時期を凌ぐために行ったことであり、本人はその制作が生活のためであり、嫌で仕方なかったようです。1930年代に入ると、ホルムは初めての芸術作品であるテラコッタの聖書の人物を制作し始めます。厳格なキリスト教教育を受けていたためだと語っていますが、ホルム自身は特に信心深いわけではなく単にモチーフとして選んだだけだそうです。1940年代には釉薬を施した磁器のフィギュアを作り続けました。さらに、動物のフィギュアも制作し、形状はますますスタイリッシュに進化します。また、さまざまな釉薬を施した壺、皿、ボウルなどの装飾品や実用品も制作するようになりました。

1950年代から60年代にかけて彼の作品は聖書のモチーフが主流で、重厚な作りが特徴となりました。ホルムはしばしば鉄のように見える黒の釉薬を用いました。この時期の彼のフィギュアは、ますます彫刻的で、スタイリッシュで、ほとんど抽象的になっていきます。1960年代から70年代初頭にかけて、ホルムの作品は柔らかい印象のものに変化していきます。彼の芸術スタイルは新たな段階を迎えることとなりました。

56歳の時にマルメ博物館で大きな個展を開いたことで、ホルムの名声は国際的に高まっていきます。しかし、Den Kongelige Porcelainsfabrikからのオファーをはじめとして世界に出る機会を何度ももらったにも関わらず、ホルムは常に故郷のHöganäsから離れようとはしませんでした。自身の工房を離れることを嫌い、求められても作品を売らないことも多かったようです。毎日7時から17時まで作り続けたホルムの作品の大半は、故郷のHöganäs museumに寄贈されました。

現在では、もしホルムがパリやアメリカに渡って、積極的に作品を発表していれば、世界的な作家として認められていたと言われています。

【陶芸作品は全て彼自身の手による希少な一点物となっています】

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