Carl-Harry Stålhane

表現主義の画家、グリューネヴァルトとの出会い

カール=ハリー・スタルハネ(1920-1990)はスウェーデンの西部に位置するマリエスタッドという町で生まれました。子どもの頃から、彼は画家になることを夢見ていました。18歳で隣町リドショピングのRorstrand社に勤め始め、最初は主任アーティストであるグンナー・ニールンドの助手として陶磁器を装飾していました。ロールストランドの経営者はカールの才能に気づき、1943年に有名なスウェーデン人芸術家イサク・グリューネヴァルトが展示会の準備で訪れた際、彼をアシスタントとして指名しました。グリューネヴァルトの芸術とその強い人格は、カール=ハリーの生涯にわたるインスピレーション源となりました。画家としての彼の才能が余すところなく発揮された作品が制作された時期です。

グリューネヴァルトの芸術とその強い人格は、カール=ハリーの生涯にわたるインスピレーション源となりました

— 二人が出会った1943年に制作された作品

国際的成功とインダストリアルデザイン

1940年代後半にパリで学んだ後、彼は独自のスタイルを追求していきます。戦後の経済ブームを背景に新しい製品への期待が高まる中、彼は単なる優れたデコレーターから第一線のセラミックアーティストへと成長を遂げます。1950年代はミラノ・トリエンナーレでの賞とゴールドメダル獲得、そしてスウェーデン、イギリス、アメリカでの個展と、世界中に活動の幅を広げます。1954年には産業デザイナーとしてのキャリアをスタートし、Entré(オントレ)シリーズといったこれまでにない食器シリーズを作り上げます。スウェーデン陶磁器の黄金時代です。

1950年代はミラノ・トリエンナーレでの賞とゴールドメダル獲得、そしてスウェーデン、イギリス、アメリカでの個展と、世界中に活動の幅を広げます

— Entréシリーズ(1957)

日本、中国の陶磁器からの影響

1966年には東京で個展を開催した後、Designhuset製陶所を開き、ここで彼は地元の素材を利用した実験を再開し、他のデザイナーと協力して様々なプロジェクトを進めました。晩年には、演田庄司や河井寛次郎、バーナード・リーチを彷彿とさせる民藝作品を制作しました。彼の作品は民藝作家の鉄絵などの絵付けの作品に強く影響を受けたとされています。

日本や中国宋時代を強く感じる流麗で美しいフォルムや釉薬

— Vikingシリーズ(1968)

彼はその生涯で幅広い作品を創作し、その多くは現在もストックホルム国立美術館、アムステルダム市立美術館、ニューヨーク近代美術館など、世界各国の美術館で展示、収蔵されています。

彼は1990年に亡くなりましたが、その技術と創造性、そして革新的なアプローチにより陶芸界に多大な影響を与え、彼の作品は今日でも多くの人々に愛され続けています。

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