釉薬と色彩
北欧のヴィンテージ食器を手にすると、まず感じるのは色と質感の深さです。
釉薬の表情は単なる装飾ではなく、研究の成果そのもの。
当時の工房では数多くの試作と実験が重ねられ、発色や光沢に納得がいくまで挑み続けました。現代の安全規制によって使えなくなった原料もあり、赤や青の力強さは特別なものです。もちろん器として使ううえで危険はありませんが、作り手にはリスクのある材料でした。
それでも「より美しい色」を求める姿勢があったからこそ、今の製品では得られない色調が生まれたのです。
”研究の積み重ねが、唯一無二の色を生んだ”
— 1950年代のArabiaの工房
職人の技と絵付け
絵付けもまた、職人の力量が問われる工程でした。
転写シートが普及した後も、仕上げには人の手が必要で、細線を補ったり濃淡を筆で重ねたりする作業は熟練した感覚にしかできません。窯の中で絵具が化学反応を起こすため、狙った色に仕上げるには経験が不可欠でした。
デザイナーが構想した図案を器に映すには、職人の手腕が決定的だったのです。その技術は世代交代とともに途絶え、いま同じレベルを再現することはできません。
”デザインを形にしたのは、職人の眼と手だった”
— 1930〜70年代の北欧の工房
厚みと設計思想
さらに注目すべきは、モデルごとに最適な厚みや仕上げが選ばれていた点です。
ティーカップは口当たりの軽やかさを重視し、プレートは日常使いに耐える強度を重視する──。製品ごとに設計思想が異なり、妥協なく作り分けられていました。
現代の復刻では同じ厚みで統一され、細やかな調整は失われています。安全性や生産効率を優先するあまり、かつての「軽やかさと丈夫さを兼ね備えた器」は姿を消したのです。
「器ごとに与えられた厚みは、日常を快適にするための設計だった」
— Marianne Westman
復刻との違いと今手にする意味
デザイナー自身も復刻版を手に取り、当時のものとは違うと語ったと伝えられています。模様は均一でも、かつての深いにじみや陰影はなく、厚みも重たく感じられる。
理由は技術の断絶だけでなく、コストの制約でもあります。三度焼成や長時間の冷却といった手間のかかる工程を現代で行えば、価格は日用品の範疇を超えてしまいます。結果として「似て非なるもの」しか作れないのです。
つまりヴィンテージの魅力は、偶然や不揃いではなく、研究と職人技と妥協なき姿勢が結晶した成果にあります。釉薬の奥行き、筆の痕跡、器ごとの適切な厚み──それらすべては「美しい日用品を作る」という理想のもとで実現されました。
だからこそ今、ヴィンテージの器を手に取ることは特別です。もう二度と同じ条件で作ることはできない。色も厚みも質感も、当時だからこそ可能だった仕上がりです。暮らしの中に置いたとき、そこに宿る時間と技術の重みが、確かに日常を引き上げてくれるはずです。