“陶芸をやったことは、一度もありませんでした。子どものころ、カレリアで裸足のまま水たまりを駆け回って以来、土に触れたことさえなかったのです。
Rut Bryk、日記から(Avotakka 誌、2025年)
ルート・ブリュックは、フィンランドの窯アラビアのアート部門で、1942年から半世紀にわたって陶の作品を作りました。初めの数年は、隣の席で教わったビルゲル・カイピアイネンの手法そのままで、二人の皿はよく似ています。
自分のやり方を見つけたのは、1940年代の終わりです。当店が集めているのは、そこから先の陶板と器です。
ブリュックは陶芸家として出発した人ではありません。建築家になりたかったのを家族に止められ、ヘルシンキの工芸学校で学んだのは版画でした。卒業後も、リノリウムの板を彫って絵を刷っていました。
1942年、その展示を見たアラビアのアート部門の長クルト・エクホルムに誘われ、研修生として窯に入ります。25歳でした。エクホルムが見たのは、陶ではなく版画でした。
アラビアのアート部門は、食器の工場の中に1932年から置かれた、アーティストのための場所です。売る製品ではなく、自分の作品を作ることが仕事でした。ブリュックはそこでカイピアイネンの手法を覚え、パステルの色で帽子の婦人や公園の散歩を描いた、穏やかな絵の皿から始めます。
1940年代の終わり、彼女は自分の技法を見つけます。石膏の板に版画のように図を彫って型にし、泥状の土を流し込むと、彫った線が浮き上がった陶板ができます。その線で仕切られたところへ、釉薬を厚く置いて色を並べました。
版画家の目と手が、そのまま土に移ったような方法です。型から起こしても、色と釉薬は一枚ずつ変えたので、同じ型から生まれた陶板に、同じものは一枚もありません。
この技法の陶板は、1951年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受け、ブリュックの名前は一躍、世界に知られます。フィンランドのデザインが世界に知られた、その年の出来事でした。
彫ったのは、目の前にあるものではありません。水差しとレモン、カレリアの家と教会、蝶と、モチーフは彼女自身の記憶と暮らしから来ています。子どものころに夏を過ごしたカレリアの記憶と、結婚し、子どもが生まれ、1949年にイタリアを旅した日々が、陶板になっています。
ただ、その記憶には想像が混じります。1952年の「トウヒ」は、クリスマスツリーに星や人形を飾り、幹に自分と夫の名前を彫った陶板ですが、彼女がカレリアで過ごしたのは夏だけでした。娘が生まれた1954年からは、母と子の陶板が続きます。
“母はすてきな物語をたくさん聞かせてくれた。彼女が語ると、どんな些細な出来事であれ、そのニュアンス、色、音、匂い、すべてが、いきいきと立ちあらわれてくるのだった。
Maaria Wirkkala(娘)、『ルート・ブリュック 蝶の軌跡』2019
陶板の中の家や食卓や母と子は、写した景色ではなく、彼女の中で語られた物語です。それをどう受け取るかは、見る人に任されています。
1950年代の終わりから、ブリュックは小さなタイルを作り始めます。一枚ずつ模様と釉薬を変えた、それだけで作品になるタイルです。同時に彼女は、組み替えられる原型のタイルを作り、何枚も並べてモザイクのように大きな構成を組むことを考えていました。
同じタイルが、並べ方で別の作品になります。平らに並べれば陶板に、立方体に組めば建物に、壁いっぱいに組めば建築の一部になる。1958年から60年の「街」は、タイルを組んだ立方体を並べた小さな都市でした。
建築家になりたかった人の考え方が、ここで形になりました。ドイツのローゼンタール社のために作った縦3メートル、横5メートルの「宴のテーブル」(1958〜61年)で、タイルの構成は初めて建物の壁になり、以後の仕事は建築と結びついていきます。
1962年にはフィンランド銀行の暖炉、1975年にはヘルシンキ市庁舎の「太陽の街」。最後の作品は大統領公邸の壁「氷の流れ」(1991年)で、7枚の壁に何千枚ものタイルを組み、3年をかけました。
1970年代からはタイルが単純な幾何学になり、色は白へ向かいます。凹凸だけで光と影を作る、陶の平面です。組み合わせて形を変えるという考えは、そのまま光の構成へ移りました。
当店の1960年代の陶板は、この「組み替えられる原型のタイル」の系統です。幾何学のモジュールを組んだ一枚の陶板は、それだけで完結した作品でありながら、壁の大作と同じ考えで組まれています。
ブリュックの評価は、この「組み合わせる」考え方に向けられています。陶は大きな作品を作りにくい素材ですが、彼女は小さな部品から大きな全体を組む方法で、陶を建築の中へ持ち込みました。工芸とデザインとアートの境を越えた作家として、戦後フィンランドの中心に置かれています。
生誕100年の2016年、エスポー近代美術館 EMMA は約200点の回顧展を開き、翌年から財団の所蔵のうち2,000点余りを常設で見せています。2019年から20年には東京、伊丹、岐阜、新潟を回った回顧展で、日本でも約200点が展示されました。
当店にあるのは、その展示や図録に載っている作品と同じ型から生まれた、別の一枚です。ブリュックは同じ型から起こした陶板にも一枚ずつ違う色と釉薬を施したので、美術館の一枚と当店の一枚は、同じ絵でありながら別の作品です。
陶板は薄く、角や縁が欠けやすいものです。当店は、ヒビや欠けのない完品、それも大きさと立体感のあるものを選んでいます。本人から仲間の作家へ渡り、その家で大切にされてきたものもあります。
Rut Bryk
全作品
作品一覧|All works
公開 14点
Tapio Wirkkala
ブリュックの夫、タピオ・ヴィルカラの作品
作品一覧|フィンランドのデザイナー(1915–1985)。ガラスと器
公開 13点