VIVIS KERAMIK, Täby
ボウルと壺形 5点/炻器/径 10–23.5cm・高さ 11–14cm
彼女の器には、工場の名前がついていません。グスタフスベリでもロールストランドでもなく、ストックホルム郊外の Täby で、自分の窯で焼いたものです。半世紀のあいだ、ずっとそうでした。
1914年、スウェーデン工芸協会が斡旋所を作りました。狙いは、芸術家たちを産業へ。1917年、ヴィルヘルム・コーゲはグスタフスベリへ、エドヴァルド・ハルドはロールストランドへ斡旋されます。工場は作家を迎え、作家は窯と土と釉薬と、仕事を得ました。
この仕組みはうまくいきました。しばらくのあいだ、名の知られた陶芸家の多くは、どこかの工場に属していくことになります。窯も、土も、釉薬も、工場にあります。外に出る理由は、あまりありませんでした。
Vivi Calissendorff(1930–2023)は、そこに入りませんでした。1949年に Konstfack、1950年代のはじめにロンドン。そのあとの経歴のどこにも、工場の名前は出てきません。
1960年代のはじめには、ストックホルム郊外 Täby に自分の工房を開きます。そこでずっと作り続けました。器も、ミニチュアも、壁の陶板も、この町から生まれています。
工場に入れば、窯も土も釉薬も揃っています。入らないというのは、それを全部自分で用意することです。その代わり彼女の器は、どこまでも彼女の判断だけでできています。
発表の場の中心は、ストックホルムの Konsthantverkarna。工芸家たちが自分で持っているギャラリーです。1971年から2003年まで、そこで六度の個展を開きました。ほかにウプサラ、スンツヴァル、ゴトランド島、老舗百貨店の Nordiska Kompaniet。
作品は国の外にも出ています。1993年、クロアチアのザグレブで開かれた第4回世界小型陶芸トリエンナーレ、そこに出展しています。小さな器を得意にした人なので、この展覧会とは相性がよかったのだと思います。
一方で、地元の仕事も引き受けました。Täby と隣の Danderyd の文化委員会、Näsby Park の集合住宅と、高齢者施設 Allégården。遠いクロアチアに出展する人が、歩いて行ける距離の壁も作る。どちらも同じ窯で作った作品です。
1978年、ストックホルムの国立美術館 Nationalmuseum に、彼女の作品が収蔵されます。《鉢》、高さ19センチ、径23.2センチ。テラコッタ色の炻器で、釉がかかっていません。
果物のような明るい色で知られた人です。それなのに、最初に収蔵されたのは釉のかかっていない鉢でした。先に認められたのは、色ではなく形だったのかもしれません。
収蔵は1980年、1984年と二度続きます。磁器の鉢が一点。白い炻器土に濃紺の釉をかけた、高さ8.5センチのミニチュアの花器が一点。手のひらに載る器が、国立美術館に収蔵されていきます。三度目の1984年に、彼女はこう言いました。
“私にとって土は、なくてはならないもの。ひとつの生き方です。この素材に魅せられる気持ちは、生涯続きます。
Vivi Calissendorff、1984年
五十代の半ばです。生涯続きます、と書いたとおり、このあと三十年近く作り続けました。
2015年2月21日から3月11日まで、ストックホルムの Blås & Knåda で個展を開きました。題は《La Finale》。84歳です。
出品した陶板のいくつかは、アクリル板の額に入っていました。思いついたのは2013年の秋だそうです。陶芸家なのに陶器をアクリルの額に入れてみる。そんなのありなの?ということを平気でやってみる人でした。そのときの言葉が残っています。
“私の陶芸の先生たちは、草葉の陰で嘆いていることでしょう。でも今は、何でも許されるのですから。
Vivi Calissendorff、2015年 個展《La Finale》に寄せた文章
2023年4月28日、92歳で亡くなりました。彼女に工場の名前は、最後までつきませんでした。はじめに自由な道を選んで、最後まで自由に作った人です。