“偉大な、けれど無名の陶芸家。
ポルヴォーの新聞 Borgåbladet、2021年
フランチェスカ・マシッティ・リンドは、1931年、イタリアの山あいの町で、イタリア人の医師の父と、フィンランド人のテキスタイル作家の母のあいだに生まれました。16歳で母の国フィンランドへ渡り、1955年から34年のあいだ、窯アラビアのアート部門で陶の作品を作りました。
若いころから国の内外で賞を受け、ニューヨークやロンドンの美術館にも作品が収められています。それでも、その名前を知る人は、フィンランドでも多くありません。
ヘルシンキの美術工芸の学校で、フランチェスカは、二年あとに入ってきたリカルド・リンドと出会います。1953年、二人は結婚し、ふだん使いの器を作る小さな工房を開きました。形を考えるのも、作るのも、すべて二人です。
1955年、その器が、造船で知られるフィンランドの大企業の社長の目にとまります。社長は、傘下の窯アラビアに、二人をすぐに雇うよう言いました。フランチェスカはそのとき、身ごもっていました。工場に保育園があるのがうれしかった、と振り返っています。
翌1956年、二人の工房の壺が、ニューヨークで30歳以下の陶芸家を対象にしたコンクールの一等になります。二人で作った二段重ねの急須は、ニューヨーク近代美術館に収められました。次の年には、ミラノ・トリエンナーレが、彼女ひとりに名誉賞を贈っています。まだ二十代の半ばでした。
アラビアのアート部門は、大きな工場の中にある、作家が自分の作品を作るための場所でした。フランチェスカはここで、一点物を作り続けます。
その腕がいちばんよく表れているのは、土の扱いです。石のように硬く焼き締まる炻器の土、白い磁器の土、そして焼いた土を砕いて混ぜた、ざらりとしたシャモットの土。火の中でそれぞれ違う動きをする三つの土を、彼女は一つの作品の中で組み合わせました。割れてもおかしくない、とりわけ難しいやり方です。彼女はその性質に逆らわず、生かしました。できたひびや溝は、そのまま草の茎や葉の筋になっていきます。
この土から生まれたのが、壁に掛ける陶の板です。1960年代の終わりから1970年代にかけての、彼女の「花の時代」と呼ばれるころの仕事です。板の上にあるのは、ほとんどが植物。丸い冠をのせた一本の木、アーチの下にひらく花、細い枝の先に並ぶ白い蕾。私たちが集めてきたのは、主にこの時代の壁板です。
近くで見ると、そのことがよく分かります。青緑から黄土へと色の移る地に、細い草の茎がびっしりと立つ一枚。その中央の白い花穂には細かなひびが走り、ひびがそのまま花の筋に見えます。黄土の地に五本の草が立つ一枚では、白い丸い葉の上に、紫と藍の穂がのびています。穂は、乾いた草を土にじかに押し当てて写したもので、細かな毛の一本一本まで残っています。
褐色のざらついた地に、大きな丸い実を刻んだ一枚もあります。実の中には、金色に光る小さな実が、いくつも詰まっています。炻器と金の彩りは、彼女にとって、光と命と愛のしるしだといいます。
壁板の時代に、評価はさらに広がっていきます。
イタリアの陶器の町ファエンツァの国際陶芸コンクールで、フランチェスカは1970年代に三度、賞を受けました。そのうち二度は、絵画的な作品に贈られる賞です。
1975年には、ストックホルムの国立美術館が、彼女の壁板を一枚買い入れています。炻器にシャモットを混ぜ、線を刻んで色を置いた、42センチ四方の板。手元にある大きな壁板のいくつかと、同じころに作られた、同じ大きさの板です。
のちにロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館も、彼女の壺を収めました。フィンランドでは、国の迎賓の船でもある砕氷船のサロンに作品が飾られ、1981年には国家工芸賞を受けています。ファエンツァの国際陶芸美術館は、いまも彼女を「フィンランドを代表する陶芸家のひとり」と紹介しています。
2001年、アラビアの博物館は、彼女の五十年の仕事をふり返る回顧展を開きました。ヘルシンキの新聞は、その評に、こう見出しをつけています。
“最も難しい陶を、手なずけた人
Helsingin Sanomat 紙、2001年。回顧展の評の見出し
冒頭の「偉大な、けれど無名の陶芸家」は、2021年、90歳の誕生日を迎えた彼女を、暮らす町ポルヴォーの新聞が訪ねたときの言葉です。これだけ認められてきた人の名前が、なぜ広く知られていないのでしょう。
日本でも、アラビアの名前は、まず食器で知られています。フィンランドのデザインの黄金時代に名を残した作り手の多くも、どこかの家の食卓にある器で覚えられました。フランチェスカは、34年のあいだ、アート部門で一点物を作った人です。工場でたくさん作られる器は、生涯に数えるほどしか手がけていません。毎日使う器を通して、名前が家の中に届く道が、彼女にはほとんどありませんでした。広く知られなかったのは、たぶんそのためです。
流れが変わりはじめたのは、この数年のことです。
2020年、フィンランドの工芸の名品を集めた大きな個人コレクションが、その図録の一巻を四人の作家にあてました。日本でもよく知られるビルゲル・カイピアイネンやオイバ・トイッカと並んで、フランチェスカがその四人に入っています。
このコレクションは2022年から、ヘルシンキの隣の町にあるエスポー近代美術館で、常設展示されています。フィンランドのデザインの歩みをたどるその展示室に、彼女の1960年代と1970年代の陶の作品が並んでいます。壁板を作っていた、あの時代の仕事です。
新聞や雑誌も、あらためて彼女を訪ねるようになりました。95歳になったいま、その生涯と仕事を一冊の本にまとめる計画も持ち上がっています。
作品に、名前がようやく追いつきはじめています。